最近思っていること
こんにちは!
最近は考え方の本をよく読んでいるのですが、考えるって奥が深いですね。
出された問いに対して決められた正解を導き出す考え方しか身につけさせられず社会に出されることが多いですが、この”考え方”を正しく学び武装すればいかに世の中が良くなるか思わずにはいられませんでした。
「〇〇はこうだからこうだ!」と一般論的なことを言われてしまうと人は大抵「あぁそうなんだ」とそこで考えることを放棄します。
もしくはメディアや著名人の発した言葉に対しても、なんの抵抗もなく情報として処理します。
そもそも1日のうちに建設的な考えをしている時間はほとんどないのではないでしょうか。
社会全体がシェアできる媒体がなかった時代は、全て物事を自分で考え展開していかなくてはなりませんでした。
利便性が加速するにつれ、人間の考える能力は衰えていったでしょう。
しかしAIが単純作業を奪い、これからはよりクリエイティブな発想を持った人が重宝されるであると言われているのに、矛盾しています。
考える力を鍛える方法として一番よしとされていることは、ひとつのテーマに対し賛成・反対両方の立場からディスカッションをすることです。
例えば、夫婦別姓というテーマに対しなんとなく賛成立場をとっていたとしても、ディスカッションで逆の立場になってしまえば反対意見を言わなければならず、賛成からは見えなかった角度で考えることができます。
これは自分が強く意見を持っていることほど逆の立場になったとき有効的です。
2人いればできるので、私も移民問題と憲法9条についてでも普段と逆の立場から意見してみようかなあと思います…(´-`).。oO笑
前置きが長くなりましたが、そんな中最近思ったこととして
本当に自分の自頭で物事を捉え考えている人なんてほとんど存在しないんじゃないかということです。
人は何かしらのきっかけや影響を受けてそれを元に考えたり意見したりします。
私ももちろんそうです。
例えば「起業したい!」とあたかも自分の意志で思ったとしても、もしかしたらすでに起業した人に憧れたのかもしれないし、今の時代の在り方的に雇われない方がいいと思ったのかもしれないし、また別の理由もあります。
それら全ての理由は自分で考えたわけではなく、気持ちが言語化され行動に移そうと思っただけです。
そしてそこには、お金・時間・自由・プライド・家族・人間関係などが絡んでくると思っています。
このお金時間自由プライドなども人生において大衆が求める要因ですが、そもそもそれが求めるに値するという価値観ですらこれまでの経験と過去で当たり前のように影響されており、自分で考えていないのです。
「自由が欲しいから働き方を見直したいです」というのも、じゃあなんで自由が大切なんですかと聞かれたらまったくのイメージで言っていることが多いです。
真っ白な紙に、どんな工夫を凝らしてでもいいから自由に何かを表現しなさいと言われたら悩んでしまうように、自由というのは案外難しいものなのです。
と、書く私のこの意見もどっかからの情報か何かで出来上がっています。
なので本当にゼロから考えた人というのは古代ギリシャとかローマあたりの哲学者、数学者、もしくは文明が進んだ頃の発明家だけなのではないかなと思います。
かなりゼロイチに近い人も近代にはいますが、まったくのゼロベースからというのはほぼ不可能だと思います。
なので現世で言うゼロベースでというのは、既存の概念や価値観を一旦置いておいてくらいのニュアンスでしかないということです。
ただそれが悪いことだとはまったく思いませんし、思考力を衰えさせてしまうという一点を除いてはむしろいいことだと思います。
世の中に絶対的な正解が存在しないからこそ、私たちは先人や過去の蓄積された情報から学び、”良さげな方”を選択し、それをベースに考えればいいのです。
今日も特にオチはありません!w
お読みいただきありがとうございました!