揺るがない自分とは

 

こんにちは!

 

哲学や宗教や科学など大昔から人の心に寄り添い続けてきた文化は、そのものが歴史と人間の集大成であり、死ぬまで探求しがいがあります。

同時に人の悩みや性質の根本は、2000年前も今も変化ないことを実感します。

 

そしてそのような文化から比較的遠い日本人は、逆に言えば特定の教えや考えに属していないからこそ、より色々な価値観や思想を同一に学ぶことができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

仏教の開祖であるお釈迦様が言った中で「自帰依自灯明(じきえじとうみょう)」という言葉があります。

 

自らを拠り所にするという意味で、”お釈迦様が亡くなられた時私たちは何を拠り所にすればいいのですか”と質問された時の回答だそうです。

 

仏教は多神教の要素が強いので、お釈迦様と人間の距離は非常に近いとされています。

その点で、ユダヤやキリストのような一神教(唯一絶対の神)の教えのように、”神を拠り所にする”というような発想ではなく、落とし込みやすいと思いました。

 

 

 

 

今ここにいる自分を拠り所にするという考えは、揺るぎない自信やブレない心を作るのに非常に重要です。

自分は自分でいる限り、周りや環境が変化しようと決して折れません。

 

 

 

しかし人は他人からの評価でしか自分を認められなかったり、これがないと自分でいられないという状態が常です。

自分以外に拠り所を作ってしまうと何もかもそちらに左右されてしまうので、一生穏やかさや高い自尊心からは遠ざかってしまいます。

 

依存比較は自帰依自灯明の対極をいくのです。

 

 

 

 

 

結局、他人というのはその人のモノサシでしかあなたを判断していません。

あなたも自分のモノサシで人を判断しています。

 

しかし他人もあなたも、その自分基準のモノサシというのはどっかの誰かや情報からの影響である場合がほとんどで、さらにその影響を与えた人も、また誰かの影響を受けているわけです。

 

 

最近思っていることの記事で、本当に自分の頭で考えている人はほとんどいないのではないか、と書きましたが、影響の受け合い、され合いは自帰依自灯明的にみればネガティブに作用しているようです。

 

 

 

自分を拠り所にするという考え方は馴染みがない感じがしますが、自分の一番の味方は自分であり、そして敵も自分なのです。

 

他人と比較して落ち込んだり自分はダメなやつだと思い込むことは、全て敵である方の自分に負けている状態だと考えます。

もちろん自分以外を羨んだり妬むこと以上に無駄で無意味なことはありません。

 

 

 

 

まだまだ私も自帰依自灯明の考えをしっかり理解したわけではありませんが、目指すべきところの1つだと断言できます。

2500年以上も前から人の煩悩を見越し本質的な教えを説いたお釈迦様、最強ですね…..。

 

 

 

最後言葉がだいぶ軽くなりましたが(笑)お読みいただきありがとうございました!

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