感情(ゴミ)
突然ですが、結構多くの状況や場面において、感情は不要の産物です。
前の記事で”人は感情の生き物”と書きましたが、基本的に人は感情に左右され、良くも悪くも影響を受けているのが常です。
なぜこんなことを改まって書いているかというと、最近公共の場で他人にキレ散らかしている人を見かけ、思うところがあったためです笑
私より3倍ほど歳の離れた大人が醜態を晒している姿は言葉になりません。(´-`).。oO
冒頭で感情は不要の産物と書きましたが、産物の意味を調べると、”あることの結果として生み出されたもの”と明記されています。
人に感情が備わった歴史は古く、脳味噌の本能を司る部分にあたります。
それがあるおかげで本能的に、”危険だ”とか、”悲しい”とか、”怖い”、と思えるようになっています。
つまりそれらは自らの身を守るためや生命を維持するため生み出されたものです。
当然動物にも備わっています。
人間が世の中を制覇できるようになったのは、さらにその本能の上に理性があり、唯一考えることができる生き物だからです。
現世の日本で生きているうちはまず生命の危機が訪れることはありませんが、にも関わらず、先日見かけた方のように感情的になっている人は、脳の発達が遅れていると言わざるおえません。
前頭葉(理性を司る脳の部分)の使用を怠り続けると、どうしても感情的な脳の方が歴史が古く強力なため、そちらに流されどんどん原始化していきます。
おもちゃを買ってもらえず駄々をこねる子供から成長が止まっている状態とも言えますね。
(冷静にめちゃくちゃディスっていますが事実です)
感情的であるというのは、自分も相手も非常に疲れさせます。
そして物事の本質や、根本的な問題解決ができなくなります。
良いことがあって気分が良い日ははかどりますが、それがない限り気分が乗らないということになるので、完全に他からの影響下でしか行動できなくなります。
仕事ができる人で感情的な人というのは見たことがありません。
逆に仕事ができない人は、目の前のことに一喜一憂し過ぎている可能性があります。
必ずしも感情的であることが悪だとは言いません。
他者に寄り添うとき、感性を研ぎ澄ましたい時などは感情が必要です。
しかしそれ以外に感情的であることは先ほども書いた通り不要であり、むしろ邪魔な場合がほとんどなのです。
例えば子供を叱る場合をとってみます。
宿題もせずにゲームをしているところを発見し、感情のままに叱ることは
宿題せずゲームしている→言うことを聞いていない・勉強をしないのは良くない→むかつく・焦り→怒鳴る→結果険悪な空気に
という、まるで建設的でない流れになっています。
理性という素晴らしい贈り物をもらった我々であれば、一旦感情は抜きにして、”宿題をせずゲームしている”という子供の状況をもっと俯瞰して捉えることができます。
・自分の好きなことを先にしてからやりたいのかもしれない
・そもそも宿題をやらないことで一番困るのは子供自身だ
・宿題をやりたくない理由があるのかな
・親がガミガミ言って子供の自主性が育つわけではない、ではどうするか?
・子供が宿題をやらなかったところで自分に何か問題はあるのか
感情的にならない考えの共通点は、視点が高いという点です。
抽象的な物事の見方ができるとも言えます。
宿題をしていないという一点だけで叱る人は、そこしか見えていないので、視点は低いです。
この視点の高さはあらゆるところでとても大事な要素で、この考え方ができるかできないかで、感情にコントロールされるかされないかが分かります。
ビジネスでの成功のポイントはここにあると言っても過言ではないです。
高いところを見ていると、目の前の些細な情報や出来事などに感情移入している暇はありません。
私の知り合いでの究極は、「命あるものはいつか必ず死ぬんだから、どんなに大切な人が亡くなっても自分はおそらくすぐ消化できると思う」
と言ってのけた方ですかね。
まぁそこまで極める必要はないと思いますが….笑
自己啓発本を読んで心が安定するのは、内容の抽象度が高いためです。
感情にコントロールされる人は、感情をコントロールできる人に勝てません。
それは仕事でも仲間内でも恋愛でも、あらゆる意味で。
メカニズムを知ることで、”あぁ自分は今必要でもないのに感情的な部分が反応してしまっているな”と立ち止まってみましょう。
感情は所詮、外部からの反応に過ぎないのです。
個人的には、”脳が原始化している!”と言い聞かせることが一番効く気がします笑
ではお読みいただきありがとうございました!
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