姑獲鳥の夏

 

こんにちは。

 

タイトルはうぶめのなつと読みます。

”こうかくちょう”と読むのが本当らしいですが、うぶめは本来は産む女と書きます。

 

 

で、なんのこっちゃってことですが、これは小説家、京極夏彦さんの作品名です。

普段あまり読まないタイプの小説だったのですが非常に興味深かったのでブログに残そうと思います。

 

 

 

 

 

内容自体はミステリーで、ストーリーそのものも楽しめる

というかそっちをメインに支持されている本ではありますが、それ以上にものの見方、脳の錯覚や自分の意識が引き起こすズレのような

いわゆる自分からみた世界の不思議という点で目から鱗が落ちた内容でした。

 

それを伏線としてミステリーが展開していきます。

ネタバレになるので事件の部分は省いて、その点に絞って書こうと思います。

 

 

 

 

 

まず、皆さんは自分の仕事や趣味や知り合いをどのように認識しているか?の話をします。

 

それは経験と記憶から認識・判断しており、それ以上はないのです。

 

それを無くしてしまうと人は物事の認識は愚か歩くこともできなくなります。

つまり人は、過去の記憶と検品することで、目の前の事柄を認識しています。

すべてそうです。

 

 

脳にある記憶の蔵、みたいなところから引っ張り出し、「昨日作成中の資料」とか「近所の〇〇さん」と認識しているのです。

 

 

そしてまれに、脳の記憶の蔵に存在しない事柄や、心がわがままを言い、それを補うため脳は記憶を誤魔化すことがあります。

それは仮想現実に直面する状態であり、いわば幽霊や幻覚を見たり、化学で説明できないことの体験です。

 

 

しかし、それらを見ている本人は絶対に仮想現実だと気づきません。

なぜなら”見よう”と思って見ているうちはその意識が存在しているので、その時点で脳は「そんなもの存在しない」などの信号を出すためです。

 

 

そして、今ここにあなたが存在していることも、実はついさっき、あなた自身もあなたの周りの人も、脳が勝手に作り出したことだとしても、それを区別することは誰にもできません。

 

あなたは先ほど、記憶の一切合切を持って生まれたのだとしても不思議はないし、それを否定することもできないのです。

 

それくらい現実と仮想現実の区別は難しく、世の中見ているもの全てがまやかしである可能性は、そうでない可能性と同じくらいあるのです。

 

 

 

 

これらは脳と心の関係に深く起因しています。

心と脳は持ちつ持たれつ、どちらかが崩れると厄介ですが、どちらも正常だと落ち着いている状態です。

 

世界はその人の内に開かれた世界と外の世界との2つあり、外は物理的法則で成り立ちますが内側はそれを完全に無視するため

脳で一旦外の情報を処理してから意識となって現れ、はじめて内の世界(心)に取り込まれます。

脳は外の世界の処理場であり卸し問屋、心が自我でその二点の取引をするのが意識という具合です。

 

 

 

なので、好きな人を見るのも、幽霊を見るのも、意識あってこそで

ある人にとっては魅力的な人も、ある人にとっては全くそう思わない、

幽霊を見たことがある人も、幽霊なんか信じない人も、脳と心の架け橋である意識の差によるものです。

 

 

 

そして、脳と心の関係にうまく寄り添ったのが宗教です。

宗教は脳が心を支配すべく作り出した神聖な虚偽です。

 

脳は神経と密接に関わっているので外からの治療でいくらでも修復はできますが、心はそういかない場合が多いらしいです。

そんな時に役に立つのが宗教で、昔から今まで人類史にずっとこれらも変わらず大きな存在としてあり続ける学問であり文化なのです。

 

 

 

 

 

 

そしてより科学的に、量子力学的に言うと、すべての物事は見ていないところではどうなっているのかは分からないのです。

 

量子力学は原子の中で電子がどのように動くかを観測した学問ですが、困ったことにそのような量子という小さな単位は運動量を測定すると位置が、位置を測定すると運動量がいい加減になってしまうらしいのです。(不確定性原理)

 

 

この世の中、ものも人もなにもかもすべては原子と分子の集合体でできています。

すなわち私たちの見ている世界にはこの不確定性原理が当てはまり、見ていないところではなんでもそこに留まっているかは分からない、という理論です。

見た時はじめて、机の上にペットボトルがある、とか、メガネケースの中にメガネがある、と決まります。

 

見るまでペットボトルは机の上にちゃんと載っているか、メガネケースにメガネは収まっているのかは分かりません。

 

もちろん反対意見も多いですが、はっきり否定できるだけの説得力は今のところないらしいのです。

 

 

 

 

因果関係の逆転もこれに共通するところがあって、今があることで過去が決まるという話も面白かったです。

 

例えば極悪非道の犯罪者がいたとして、その人の過去を遡ってみたら家が貧しくまともな教育を受けていなかったとか

家族仲が悪く愛情を注がれてなかったとか、こんな非道徳的な趣味があったとか、そんな報道を聞いたことがあると思います。

 

 

これらは、彼らが犯罪者になったことで、さかのぼり過去ができ上がったのです。

犯罪者になったその時に過去が決まったと言ってもいでしょう。

 

 

そうでないと、犯罪者であることの説得性に欠けるためです。

 

逆も然りで、普通の生活を送った人の過去は何事もなかったように消されます。

 

 

 

 

社会の持つ共同幻想とはまさしくこんなところにあり、理解できないことに対して私たちは勝手に曲解し、分かったようにしているのです。

宗教も同じ原理ですが、逆に共同幻想を持つことで民族や社会の団結力は高まり繁栄は起こってきました。

 

 

 

私は、見ている世界はほとんど虚構の上に成り立っていると思っていますが

もしかしたら私の過去も記憶もすべてまやかしで、私なんてもしかしたら存在していないのかもしれない

この世のすべてがバーチャルでただ見せられているだけかもしれないと考えるとなんかロマンがありますね。笑

 

 

 

 

いかに人は世界を自分の色眼鏡で見ているか、正しく物事を判断できる人はいないか実感させられました。

今までマインドとかすごく勉強しましたがそれを超越するような認識世界です。

 

 

 

この本はやや小難しいところもありますが、全体を通していろんな角度からいろんな情報を得られるのでシンプルに勉強になります。

予備知識として、古代中国の神獣・悪鬼や、日本の呪術の歴史など持っておくとより楽しめると思います。

 

 

 

お読みいただきありがとうございました!

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