哲学的な幸福とは?

 

こんにちは!

 

 

最近はまたブームがきて哲学の本をよく読んでいます。

 

 

 

こちらの記事で哲学おもしろいですよは書いていますが

今回は最近気になった哲学用語の紹介をしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アタラクシアという言葉があります。

古代ギリシャ哲学の専門用語で、『心の平穏、穏やかさ、乱されない心の状態』を意味しています。

 

 

 

これは快楽主義といって、快楽こそ幸せと唱えていた宗派ですが

快楽(欲望)のままに私欲を満たそうぜ!という意味ではなく

 

幸福は快楽にあるが、外的なものに囚われず欲望を否定した内的な平静こそが最大の快楽

 

だといいます。

 

 

 

要するに外的要因に左右されることのない心の平穏さ

こそが一番の快楽であり幸せだということでしょう。

 

 

 

皆さんはこの考えをどう思うでしょうか?

 

 

 

なんとなく今でいうところの、他人と比較せず自分らしく生きよう!

的なニュアンスを感じますね。

 

 

 

 

 

精神も肉体もどちらかのバランスが崩れてしまえば、本当のアタラクシアは得られません。

 

それを支えるものがやはり、経済的な余裕や良好な人間関係、そして健康な身体です。

 

ある意味人はアタラクシアを求め、生きているのかもしれません。

 

 

 

 

逆に、刺激を得たり挑戦し続けることこそが最大の幸せだ!

 

という人も必ずいると思いますが、そんな人は例外なのでしょうか?

 

 

 

刺激や挑戦というところですでに外的なので例外っぽいですが

その人はそれをしていないと焦ったり退屈したり不安になるかもしれません。

 

それをすることでワクワクしたり心が満たされ、途中起こるハプニングさえも楽しんでいるのならば

気持ち的にはアタラクシア状態になっています。

 

 

半分正解、半分違うってかんじですね。

 

 

 

 

 

 

 

さらにアタラクシアの上をいく、アパティアという言葉があります。

これは感情を完全に排除した状態のことを指します。

 

 

”人は生きている中で、日常の喜怒哀楽から死の恐怖など、様々な情念に囚われ苦しむ”

なのでストア(宗派のひとつ)の賢者たちによって秩序を保つにはアパティアの生活を送ることが至福とされました。

(”ストイック”という言葉はこの辺りから来ています)

 

 

 

 

完全に感情を排除してしまうのは正直寂しいですが..

しかしアパティアに到達してしまえばその”寂しい”すらなくなりますからね(´-`).。oO

 

 

感情がなくなればロボットのような人間が増えるということでしょうか。

なぜ古代ギリシア人がここを目指したのかはわかりませんが

色々なことが楽になりそうなのはイメージができます。

 

 

 

時代のイマジネーションなどは”人のために”ではなく

便利になるから、効率的だから、という理由で進められそうです笑

 

 

 

 

 

 

 

アパティアもアタラクシアも『理想の境地』とされてきましたが

個人的には人生の途中でこれに到達してしまうのはもったいない気がします。

 

 

 

 

素晴らしい景色を見ても、感動的な出来事があっても

逆に命に関わる危険な出来事があっても、穏やかでい続ける。

 

 

 

 

てゆうか普通に無理ですよね笑

 

 

なので『理想の境地』を目指して、穏やかでいたり感情を排除することよりも

自分と心で良い関係を築けるように、感情と向き合う方がよっぽど大切だと考えます。

 

 

そして幸福の定義は100人いれば100通りです。

 

 

 

 

 

 

 

哲学の分野には、幸せとは何か?をずーーーっと前から考えてきた頭のいい人たちの見識が散りばめられているので

自分の人生の質と深みを向上させるエッセンスが詰まっています。

 

機会があれば是非読んで見ることをおすすめします٩( ‘ω’ )و

 

 

 

 

 

 

お読みいただきありがとうございました!

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