俳優の死について

 

こんにちは。

 

死の縁で後悔することというブログを書き、考えを巡らせていた直後の出来事だったのでより衝撃が大きかったです。

 

 

 

芸能人の追悼は何度も見てきましたが

志村けんさんと同じくらい、三浦春馬さんは最も目にしてきた方のひとりです。

 

 

ただ思ったことを書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

死に対しての考え方は宗教によっても、また個人によっても様々です。

 

死は生の延長でしかないという教えもありますし、新しいいのちが始まるとも言われます。

 

 

 

 

しかしいくらそう認識していたとしても、死を迎えた方へはひとつの終わりと捉えることが一般的であり、別れを惜しむことが普通です。

 

それが若くして自ら命を断ったのであれば余計そうです。

 

 

 

私は近しい人の死というものをまだ経験したことがないので実際にどう感じるのかは不透明ですが、死に対する宗教的な考え方はきやすめ的に聞こえる時もあれば、悲しみのどん底にいた場合は、例え無神論者でも救いになる考え方とも思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

著名人の死は報道され、多くの人の心に影響を与えますが

国内では毎日どこかで60人の方が自ら命を断っています。(年間2万人)

 

その命の重さは同じです。

 

 

 

 

毎日どこかで起きていることなのに、今回のことをきっかけにして改めて考え直させるような報道や扇動は正直不様だと感じます。

 

常に考える機会があり、そして少しでもそんな人を減らせるように社会全体が変わることを望みます。

 

 

 

 

 

 

 

数多くの選択肢がある中で”自殺”を選んでしまうことは、もはや自殺は最後のアクションであり、その精神はとっくに亡くなっているのではないかと思います。

 

 

 

それは、ただ物質的な身体だけが残ってこの世に徘徊しているだけで、心はとっくに自殺しているといったような。

 

その心の自殺は少しずつ着実に行われており、本人の全てを侵食してしまい、最後には身体の機能を停止させる。

ただその機能の停止を、私たちは”自殺”と呼んでいるような気がしました。

 

 

 

 

 

この世の中には、すでに精神は死んでおり、あとは肉体との接点を断つだけの人が毎日60人もいます。

そしてそれに気がつけていない故の数字です。

 

 

 

 

過去に、自殺してしまう人は選択肢をそれしかないと思ってしまっているとブログにしましたが

精神を自殺させてしまった人に、なかなかその言葉は届かないのでしょうか。

 

仮に死ぬこと以外の選択肢を全て与えたとして、それでも死を選んでしまうのか。

 

 

 

 

 

色々改めて考えさせられました。

 

 

 

心からご冥福をお祈りいたします。

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