死の縁で後悔すること

 

こんにちは!

 

 

『死生観』という言葉はご存知でしょうか?

 

人間誰しも必ず迎える「死」というものについて前向きに考え

故にどう生きるか?と向き合うかなり深く本質的な価値観の問題です。

 

 

 

終わり方を描くことで逆算し、ではどうすればその理想的な死に向かえるように生きていけばいいかが分かってきます。

 

 

 

特に日本人は無宗教が大多数を占めている上、私たちは年齢的にもおよそ死について語る機会はありませんが、死生観については義務教育に取り入れても然るべきだと個人的には思っています。

 

 

 

 

 

 

どうしても人は自分がその立場や目前にならないと死については考えませんが

タイトルの通り、今日は「人が死ぬ間際に後悔すること」をいくつかピックアップして書いていこうと思います。

 

 

自分が最も活動的になれる時代に情報が簡単に手に入らなかった世代の方々。

その次の担い手として今私たちがいます。

 

今の恵まれた環境に感謝しながら、今の自分とこれからのあり方を考え直すきっかけになれたら幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

①働きすぎたこと

 

働きすぎたことによりお金を得るメリット以上の犠牲を払うことを人は分かっていません。

働いた結果の達成感・感謝・成果<後悔になるのはなぜなのか?

 

明確に誰のためになって、なぜ自分がそれを選択しているかを今一度考えてみましょう。

 

 

 

 

②幸せを諦めたこと

 

こんな残念な後悔はありません。

これは働きすぎたことと連動しているのか、など考えてしまいます。

 

幸せの基準は人それぞれ。

一度きりの人生でこんな後悔はしたくないです。

 

 

 

 

③もっと自分の気持ちに素直になればよかった

 

すでに私も現在まで振り返ってみて、これを思い起こすことはいくつかあります。

 

自分の人生の主人公は自分であり、他の人はすべて脇役です。

脇役にシーンを持っていかれないような人生にしたいですね。

 

 

 

 

④もっと自分らしく生きればよかった

 

自分らしく生きるとはなんでしょうか。

 

皆さんはその答えを自分の中にお持ちですか?

 

誰かの人生や価値観に乗っかってはいないでしょうか。

「他の誰かの自分らしさ」が自分らしさになってしまっている人が多い印象です。

 

 

 

 

⑤もっと挑戦すればよかった

 

「やった後悔より、やらなかった後悔の方がよっぽど大きい」

これを肝に銘じたいです。

 

やらなかった後悔が積み重なって、上記4つのような後悔も付随されていくのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人は正直いつ死ぬかは分かりません。

 

私が明日、もしかしたら今日死ぬ可能性もあります。

 

ただ私たちのその可能性は年齢的にも環境的にも果てしなく低いというだけで、0%の人間はいません。

 

 

 

 

以上ご覧いただき、このままではどれかに当てはまってしまうと思った方はすぐにでも行動した方がいいでしょう。

 

間際になり、もっとお金が欲しかった、地位や名誉を得たかった、などと考える人はいません。

 

きっと、大切な人や自分の人生を振り返り思いを馳せることでしょう。

 

 

 

 

 

 

やり残したことは大けれど、たとえ今日死んでも後悔はない!

 

そう自信を持って言える人が増えればどれほど素晴らしい世の中になるか測り知れません。

 

ある意味後悔のない生き方を考えることも死生観のひとつです。

 

 

 

 

 

 

 

ではお読みいただきありがとうございました!

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