自由になりたい人々
こんにちは!
何やら哲学的なタイトルですが、今日は自由について書こうと思います。
というのも、タイトルの通り「自由になりたい」と口にする人があまりに多いと感じるからです。
彼らの指す自由とは
時間とお金の制約がなく、好きなタイミングで好きなことができる状態で、企業や権力者に頼らない生き方のことかと思います。
確かに、一日のうちほとんどを占める仕事をする必要がなくなれば嬉しいかもしれません。
誰にも何も言われず空いた時間で好きなことをする方が、嫌な仕事をするより精神衛生上ずっといいでしょう。
にもかかわらず、なぜこんなにも渇望する人と実現させる人の比率が合わないのか。
それは、法を犯さない限り何をしても許される現代で、「自由になりたい」と言うだけの人は
”本人的には自由とは言えない状態”をそもそも自ら進んで選んでいるに過ぎません。
人ひとりが上記の”自由である状態”になったところで誰にも迷惑はかかりませんし、社会への影響は1mmもない。
なのにいざ自由になるために会社を辞めようと思っても、それはできない。
辞めることが億劫なのではなく、それはただの自由への恐怖です。
実は、完全なる自由というのは、人を困惑させ、どうしたらいいか分からなくさせてしまう性質を持ちます。
例えば、真っ白な紙になんでもいいのでなにか自分の中にあるものを表現しろ、と言われるより
赤のペンを渡されこの花に色を塗れと、言われる方が容易いです。
これを私たちの状態にも置き換えると自由度の高い状態というのは、人を思考停止にさせたり不安にさせる側面もあるのです。
だから敢えて自由への選択を捨て、何処かへ服従することを選んでいるのだと思います。
本当は求めているはずの自由を”扱えない”と、どこかで分かっているのです。
より言うのであれば、自由になるためにやったことのないことに挑戦したり、さらに勉強したり、アクションを起こすことで
周りから異端の目で見られたり、就職し毎月安定した給料が入る生活を捨ててまでリスクをとりたくない
というのが正直なところではないでしょうか。
なんだかんだ文句は言いつつ、限られた時間の中で自由を見つけ満足し、”自由になりたい!”と渇望した想いは薄まっていくのです。
私の大学時代の友人は何人もデザイナーで独立していきたいと言っていましたが、ほとんどが現在就職しています。(それがいい悪いの話ではありません)
自由になる選択はできるのに、結局どこかへ服従することを人は選ぶ。
”自由になる”ことを目指すのは、孤独でキツイことなのです。
「皆さん今日から仕事辞めて自分で自由に稼いで行って下さい!」
と言われたら怖いですよね。
自分で何も考える必要のない服従は楽なんです。
”自由”をイメージで捉えている人は本当に多いなあと思います。
結論がなくてすみませんm(_ _)m
お読みいただきありがとうございました!